「みなみ紬」南 修郎さん

「本場奄美大島紬特集」〜伝統と革新のひと vol.4〜
オリジナルブランドの蚕を自ら育て、繭から糸を引いて織物にする「みなみ紬」の南修郎さんは、奄美大島に伝わる昔ながらの大島紬にこだわった創作をされています。その背景にある『原点回帰』への熱い想いをお伺いしました。

伝統に目を向け原点に回帰
大自然と手仕事の温もりが伝わる大島紬

奄美大島で、他にはない面白い本場奄美大島紬を創る方がいます。それは、「みなみ紬」の南修郎さん。独自に開発した蚕を自ら育て、その繭から自分で絹糸をひいて織物をされており、織物産地で着物づくりに携わる方々が全国から見学・研修に訪れるほどの技術と知識をお持ちでいらっしゃいます。

南さんの作品は、本場奄美大島紬と聞いて思い浮かべる多彩な絣模様の着物とは異なる表情をしていますが、実は奄美大島の紬の原点を追求した織物なのです。

オリジナルブランドの蚕を自ら育て
繭から糸を引いて織物に

「みなみ紬」を訪れてまず驚くのが、工房の様子。制作中の糸がかかった手機は工夫が凝らされ、織りやすいようにカスタマイズされています。色とりどりの美しい帯が積まれていると思えば、その横には蚕が繭をつくっている蔟(まぶし)が無造作に置いてあったり、ふと見上げると工房の天井に蚕が上手に繭をつくっている姿も。機も作品も蚕の繭も、どれをとっても「みなみ紬」にしかないもので溢れており、主である南さんの自分らしく工夫して物事にあたるこだわりが伝わってきます。

「黄色い繭は、うちのオリジナルの『奄美黄金繭』です。桑畑と蚕小屋を作って、織物にできる量の繭を育てています。実は繭って、こうやって手でひっぱっても絹糸が引けるんですよ」。

そういって南さんは、煮繭された繭を手に取り、ふわふわとした糸を何本か手でねじりながら引き出して見せてくれました。細くて艶のある生糸とは違い、太さが不均質で柔らかな見た目の糸たち。

「ずる引きといってね、大昔の人はこうやって糸を取っていたんですよ。染色すると糸の染まりも不均質で、味のある糸になります」。

オリジナルブランドの蚕を自分で育て、繭から糸を取り、織る。それは南さんが「大島紬の原点」を探るなかで、たどり着いた作品づくりの形でした。

本場奄美大島紬の原点を追求した
オリジナル蚕『奄美黄金繭』

南さんがお父様の会社である「南絹織物」で働き出したのは20歳のとき。本場奄美大島の製造工程を学びながら、営業を担当してデパートなどで販売をしてきたといいます。一方、高校時代からお母様に織りの手ほどきを受けていた南さんは、35歳でそれまでの大島紬にはない「ぼかし織」を創作しました。

2年後にはその技法を用いた『ぼかし織夢幻』という作品で全日本新人染織展の新人賞を受賞。これが工芸作家としての活動の始まりでした。しかしその頃は、ライフスタイルの変化により着物の需要が減ってしまい、大島紬が以前ほど売れなくなってきた時代でもありました。そのため、43歳でお父様が起こした「南絹織物」の半分を引き付き「みなみ紬」を創業する一方で、46歳で奄美大島の名瀬市の議員に立候補。政治家として本場奄美大島紬をとりまく厳しい環境を改善するため、対策に奔走したといいます。

「議員の任期が満了となる56歳のときに改めて自分の生き方を振り返ってみて、『やはり自分が大切にしなければいけないのは大島紬だ』と思ったんですよ。それで政治活動を引退し、改めて大島紬に向き合うことにしました」。

とはいえ、作れば売れる時代はとうに過ぎています。自分にできることは何だろうと深く考えた南さんは、「大島紬の原点」を意識するようになりました。そんなとき、別会社を営むお兄様の祐和さんから「自分たちで蚕を育てて100%奄美産の大島紬をつくろう」と声がかかったのです。

「奄美大島も江戸時代から養蚕が盛んだったのですが1985年に途絶えてしまっていたんです。よくよく考えてみれば、養蚕農家の人は織物をせず農協に蚕を売って終わり。織物する人はそれを買うだけ。そんな風に切れているのはおかしい、きっと昔は自分で育てて織っていたはずだと思い、蚕からものづくりしたいと考えました」。

何事も自分で実践しないと気がすまない南さんは、2011年に愛媛県にある「愛媛養蚕種(えひめさんしゅ)」に2週間の研修に入ります。そこは養蚕農家に蚕を卸す会社で、卵をかえして三齢になるまで蚕を育てていました。そのとき出会ったのが、黄色い繭の『琉球多蚕繭(りゅうきゅうたさんけん)』。ひとつの繭に2〜3頭が入って玉繭を作る品種で、その名のとおり沖縄や奄美、久米島、などで飼われていた蚕だったそう。

「これこそ大島紬の原点だと思いました。玉繭は糸を引くのに手間がかかるので、一頭で繭を作るよう品種改良してもらい『奄美黄金繭』と名付けました。織物にはずる引きした糸を使っています」。

こうして、ずる引きした奄美黄金繭を使った着物や帯の『原点回帰シリーズ』は南さんの代名詞となり、代表作ともいえる『原点回帰 奄美黄金繭織込 訪問着』は、2015年の全国伝統的工芸品公募展で日本伝統工芸会会長賞を受賞しました。 

天蚕糸や芭蕉の繊維を用い
昔ながらの大島紬を創作

南さんはその後も「大島紬の原点」を追究するものづくりを続けています。経糸に生糸、緯糸にクワコという山繭の糸を使い、奄美に自生するフクギやヒカゲヘゴで糸染めした『野蚕大島紬』もそのひとつ。

「昔の奄美大島では、緯糸に天蚕と呼ばれる山繭の糸、経糸に木綿や苧をつかって織物していたんですよ。当時に思いを馳せながら糸を選び染めています」。

またここ数年、南さんが取り組んでいるのは、経糸に絹糸、緯糸に芭蕉の繊維を交ぜ織りした野趣に富む帯です。これもまた昔の奄美の人々が芭蕉布を着ていたことに由来します。工房にはたくさんの帯が並んでいましたが、毎回考えながら織っていくため全く同じものはできないといいます。

「大島紬の歴史は1300年といいながら、今の本場大島紬は明治40年に締機が開発されて以降の織物のみに特化し、それ以前のものに背を向けてしまっています。もっと原点に回帰した大島紬があってもいいと思うのです」。

本場奄美大島紬は、絣合わせがやりやすい細くて滑りのよい生糸で織られていますが、締機が誕生する前は紬糸を使って手括りされていたのだそう。南さんの作品は、まさに紬と呼ぶにふさわしい風情をしており、奄美大島で生まれる織物の魅力や歴史をより深く伝えてくれています。 

関連記事:「日本の染め・織り事典/本場奄美大島紬(鹿児島県)」

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みなみ紬
鹿児島県奄美市名瀬鳩浜町215
TEL 0997-53-1373
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取材・文/白須美紀

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