世界で唯一、奄美大島でしか行っていない伝統的な染色技法「泥染め」。大自然の恵みを活かし、先人の知恵を伝承する1958年創業の「金井工芸」の金井一人さんに大島紬の最大の魅力である艶のある黒色が生まれるまでの工程をお伺いしました。
目次
島に自生するテーチ木と泥で染める
本場奄美大島紬ならではの黒
精緻な絣模様、軽くてしなやかな風合いはもちろん、艶やかで深みある泥染の色もまた本場奄美大島紬の魅力のひとつです。泥染めは、奄美大島に自生するテーチ木の幹をチップ状にしたものを煮出して染料にし、糸を70〜80回ほど染め、20回染めるごとに泥田で洗って鉄媒染を行う伝統的な染色技法。大島紬の製造が盛んな龍郷町で奄美独自の泥染めを手がけていらっしゃる「金井工芸」を訪ねると、染料を煮出す巨大な窯や南国の木々に囲まれた美しい泥田など、奄美大島ならではの染め場の風景が迎えてくれました。
約80回繰り返し染めて
理想の色に仕上げる伝統技術
奄美大島の泥染めに触れられる工房として、日本全国から多くの人が訪れる「金井工芸」。創業は1958年で、代表の金井一人さんが22歳の時に現在の場所に創業しました。
泥染めはまず、テーチ木を煮出した染液で地糸や絣締された糸を茶褐色に染めるところから始まります。テーチ木は奄美の方言で、一般には車輪梅(しゃりんばい)という名前で知られるバラ科の樹木です。
正倉院の書物に「南方から赤褐色の着物が献上された」という記述があり、その織物は奄美大島からのものであったそうで、赤褐色はテーチ木の色だったと考えられているとのこと。奄美大島の織物には1300年もの歴史があり、テーチ木は島の由緒ある染料なのです。「金井工芸」には大きな釜があり、なんと一度に600kgのテーチ木のチップを煮出して染液を作るのだとか。
「本当は根っこの部分にタンニンが多いので、奄美大島では昔は根っこを斧で刻んで使っていましたが、約40年前から、チップを作る機械が導入されました。テーチ木は奄美に自生していますが600kgも採取するのは大変ですので、うちはパルプ業者さんが他の木を伐採する傍ら、テーチ木が見つかったときにチップにしてくださっています。鮮度が大事なので、チップにしてから2週間ぐらいまでに煮出す必要があります」。
金井さんによれば、テーチ木は2日間ほど煮出し、約1週間寝かすとようやく染料として使えるとのこと。取材に伺った日は、2人のベテラン職人さんが大きな金だらいで絣締された糸を何度も手染めされていました。金だらい自体もテーチ木の茶褐色に染まり、銅製なのかと見間違うほどです。
「染料は自然のものなので色の出方が違うんです。染まりが悪い染料も80回以上染めたら同じ色になるのですが、あまりやりすぎると今度は糸が太くなってしまう。そうすると織子さんが織れなくなってしまいます。70回〜80回の間で理想の色に持っていき、3割〜3割5分くらい糸が太るのがベストですね」。
テーチ木はタンニン酸を持っているので、アルカリの消石灰を入れて酸を中和しながら染めていきます。染液の様子を見て、染まり具合をはかりながら、職人が70〜80回でちょうどよい色に染まるよう消石灰の量を調節していきます。その塩梅はとても難しく、熟練の技がいるのだそう。
粒子が細かく美しい泥田が
テーチ木染めを深みのある黒に変える
大島紬の地糸や絣締された糸は、テーチ木で20回ほど染められた後に泥田で洗います。テーチ木のタンニンと泥田の鉄分を反応させ、茶褐色を黒に変化させるためです。そしてこの「テーチ木を20回ほど染めたあと泥田で洗う」という行程を4回繰り返すと、ようやく理想的な大島紬の黒が生まれます。
金井さんが泥田での作業を見せてくださいました。水をたたえた泥田に膝まで浸かり、何度も糸を田の水で洗います。時には泥の成分をすみずみに行き渡らせるために、糸を板に叩きつけることも。リズミカルな水音だけを聴いていると涼やかですが、一反分ともなると濡れた糸は30〜40kgもの重さになるといいますので、大変な重労働です。
「泥田は泥の粒子が細かいことが肝心です。生活排水が入らないことも大事ですから、うちのように染め場や工房の側に泥田があるのは奄美でも珍しいんですよ」。
本場奄美大島紬は「自然の染料と自然の環境で染める」というのが大前提。それゆえ、工場に泥田を運び込んで染めるようなことはなく、泥田があるところに糸を持って染めに行くのだそう。
「泥染めの黒は光沢がなくて深みがあり、角度によっては茶黒に見えます。10年もすると黒が濃い茶色に変わってきますよ。これが草木染めのいいところで、少しずつ色が変化します。世代を超えて纏って頂くことで、味わいが一層深くなるのも大島紬の魅力です」。
挑戦を続けることで
泥染めを伝承し本場奄美大島紬を守る
「金井工芸」では、大島紬だけでなくアパレル関係の仕事も請け負っています。金井さんが仕事をはじめて数年経った頃に、和装離れが起き、大島紬の生産量が減ったことがきっかけでした。悩んだ金井さんは、泥染めを知ってもらうため、和装業界以外の会社に泥染めした生地を送りました。それが、アパレルメーカーの目に止まることになったのです。今では、「ビームス」や「ユニクロ」など、様々な大手ブランドの注文を受け、息子の志人さんがアパレル部門を担当されています。また、40年前から一般に向けた泥染め体験も実施し、国内外から多くの方が工房を訪れ、ご縁が広がっているといいます。
「40年前にアパレルの仕事や観光客向けに泥染め体験を始めた頃は、伝統工芸の名を汚すと批判されることもありました。けれど、伝統工芸にこだわり続けた会社ほど続けていくことができず、廃業された現実があります」。
創業時、龍郷町に60軒はあったという泥染めの会社も、今では2〜3軒とのこと。「金井工芸」は、アパレルや体験など、和装以外に積極的に挑戦してきたからこそ、大島紬の仕事を続けることができました。本場奄美大島紬は38もの行程が分業化されています。それゆえ、ひとつの工程でも担う工房が無くなると、大島紬を作ることができなくなってしまいます。
本場奄美大島紬協同組合の理事も務める金井さん。他の織物産地と同様、技術者の高齢化・後継者不足が課題といいます。
「泥染めだけでなく、奄美の伝統文化をどのように守っていくか。とても難しいことですが、官民一体となって若い世代に後継を作る方法を考えないといけません」。
穏やかに話す金井さんの言葉には、本場奄美大島紬の伝承への強い責任と想いが込められていました。
関連記事:「日本の染め・織り事典/本場奄美大島紬(鹿児島県)」
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金井工芸
鹿児島県大島郡龍郷町戸口2205-1
TEL 0997-62-3428
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取材・文/白須美紀