産地/奈良県
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奈良の伝統織物であり幻といわれた大和絣
江戸時代中期から伝わる奈良の伝統織物「大和絣」。白い木綿地に十字や井形の藍染め模様を施し、デザインと染めの良さから明治時代には全国的に有名になりました。しかし、安価な綿の輸入や生活様式の変化により、1965年ごろに生産が完全に途絶えてしまいました。
この幻ともいえる大和絣の復活に挑んだのが、奈良県在住の染織家・亀山知彦さんです。服飾系の専門学校を卒業後、染織の世界に魅せられ、愛媛県の野村シルク博物館の研修生として染織の基礎を習得。自然染色で糸づくりから反物に仕上がるまでの工程をひたすら学ばれました。その後、技法を身につけるため、京都の染織作家の工房へ。内弟子として5年間修行を積まれ、まさに”絹のエキスパート”といえる経歴をもちます。
大和絣との運命的な出会い
内弟子時代、あらゆる織物を手がけてきた亀山さんでしたが、心酔するような織物との出会いがなく、葛藤の日々だったといいます。染織家として進むべき道を模索する中、ある本で大和絣の存在を知り、直感的に「これだ!」と確信。これまで慣れ親しんできた絹と木綿の糸の扱いに大きな違いはないとし、大和絣の復元に向け決意を固められました。そして、大和絣に詳しい学芸員や奈良県の協力を仰ぎ、試行錯誤を重ねる日々が始まりました。
現存する道具はなし。ゼロからのスタート
大和絣は、近江上布や白鷹御召と同様、板締め絣と呼ばれる技法で作られていました。しかし、約60年前に完全に途絶えた大和絣。亀山さんは、制作に必要な道具が現存していない事実に直面しました。そこで、芭蕉布や琉球絣の手法に倣い、手括りでひたすら締め上げることに。白絣のため、括る量が多いこと、そして括ったところに染料が入らないよう、技法をご自身で研究。その結果、確実かつ効率的な括りの技法を編み出したといいます。
また、大和絣は大和機で織られていましたが、高機でも同じ風合いが出せることに気づき、師匠から譲り受けたバラバラだった道具を自ら組み立て直して愛用。当初、絣上げ機を使うことで糸のねじれが発生し、作業がスムーズに進まないことがあったため、絣上げ機は使わず、錘でアレンジを効かせる方法も習得されました。すべては大和絣の復元のため。今、この時代に手元にある道具を有効活用させ、あらゆる知識と技を注いでいきました。
生涯続けていくという決意
2018年から再現作業を始め、2020年に独立した亀山さん。そこから大和絣の制作に専念し、2020年には個展も開催されました。これほどの短期間で復元を成功させた理由。それは、初めて大和絣を作ったとき、今までの織物にはない感覚があったといいます。
「作業をする中で、昔、大和絣を織っていた職人の方たちと通じ合えるというか、対話しているような不思議な感覚がありました。おのずと、僕が生まれ育った奈良の風土や文化に敬愛の情も芽生えました。土地を愛するようになって、今まで目に留まらなかったものが気になるようになり、それがインスピレーションの源になっています。このような体験から、生涯を通じて取り組んでいこうと思いました」。
亀山さんの志が宿る大和絣の未来
「僕も作家なので、ただ復元して終わりではなく、自分なりの進化を編み出していきたい」と語る亀山さん。
単調ですっきりとした柄が特徴の大和絣ゆえ、当時は男物が多かったそう。そこで亀山さんは、伝統的な柄ゆきは大切にしながらも、染め部分に柔らかさを出し、女性を意識したデザインに昇華させたいといいます。また、白絣だと単衣のイメージが強いですが、白大島のように袷で長い期間で着用できるよう、高機でしっかりと織り込んだ大和絣を生み出していきたいと、その展望をお話しくださいました。
「美術工芸としても、商品としても様々な人の手にとってもらえる大和絣を作っていきたいです。今は、僕一人で作っていますが、他の方とも技術と共有し、将来は保存会のような形で伝統を守り、継承していきたいと考えています」。
取材協力/染織家・亀山知彦さん
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