米沢織の魅力大解剖 vol.1「新田」

紅花染め復興のため研鑽を重ねた
豊かな色彩美で魅了する名門

米沢織の織元、新田の真綿手引紬

こだわりの美しい色合いで人々を魅了する「新田」の織物。その創業は1884年にまで遡ります。武士の家系で、創業時から主に袴地を織り、「袴の新田」として名を馳せていました。現在、5代目となる新田源太郎さんが、代々受け継がれてきた伝統のものづくりの精神を大切に、時代に即した作品を生み出しています。

紅花染を行う米沢織の織元、新田の外観

「新田」を語る上で重要となるのが、山形の県花に指定されている紅花について。なぜなら、一度は途絶えた紅花染めの復興に尽力し、”紅花紬”を世に送り出した功績をもつ織元だからです。
”紅花”の記録が山形県の歴史に登場したのは、戦国時代から江戸時代初期に活躍した出羽国の大名、最上義光公が奉納した書物が最初と伝えられています。その後、直江兼続公が著した農民の教訓書「四季農戒書」に紅花の栽培について記してあったことから、当時、紅花が年貢や換金物として盛んに育てられていたといわれています。山形が紅花の栽培に適した気候・土壌であったことから一大産地となり、高級染料として高値で売買され、繁栄を極めました。しかし、化学染料の輸入や戦争による贅沢禁止令で紅花の栽培自体ができなくなったことで衰退していきました。

米沢織の織元、新田の紅花デザインの帯

昭和30年代後半、源太郎さんのご祖父様で3代目の新田秀次さん・富子さんご夫妻が、紅花染めの美しさに魅せられたことがきっかけで、復興に向けて研究に着手。書物を紐解き、研鑽を重ね、幻の色といわれた紅花染めを甦らせました。
米沢の着物づくりは基本的に分業制ですが、紅花染めを扱う染屋がなかったため、自分たちで染めも手がけることを決意。それが、「新田」が一貫性で生産するようになった理由なのです。

新田による紅花染めの紬

そして、昭和40年代前半に、紬と融合させた「紅花紬」を発表。紅花の商いが全盛だった頃、紅花は金と同等の価値があったことから京都や江戸に流れ、産地山形で一般向けに流通することも、しかも普段着である紬に染めるという発想もありませんでした。紅花紬を展覧会で披露すると、たちまち話題に。さらに、1972年に上皇ご夫妻が「新田」を公式訪問されたことで、紅花紬の知名度は一気に高まりました。

美しい紅花染め

えもいわれぬ美しい色合いを最大の特徴とする「新田」。紅花からは黄色と赤色の組織しかとれませんが、紅花に他の染料を重ねて染めることで、百色の色相を表現した織物を創作しています。
2021年の米沢織物求評会で経済産業大臣賞に輝いた「フォレスト」(画像)も同じ。紅花と他の植物染料だけでなく化学染料も用いて、“光が差し込む森”のイメージを具現化。重ね染めをすることで、作品に神秘的な奥行きが生まれています。

米沢織物求評会で経済産業大臣賞に輝いた新田の作品「フォレスト」

作品の構想について「自然からインスピレーションを得ることが多い」という源太郎さん。
「山形はもちろん、出張先で見た風景を写真に撮って、色でどのように表現するか考えていきます。美術館などで、デザインされたものを参考にすることもあります。その時は自分の中で作品を咀嚼し、表現したいイメージを構築し、色づくりに着手します」。

新田の5代目となる新田源太郎さん

 同じ柄、同じ色は2度とできない。だから、売れたからまた同じものを創るのではなく、新しいものを創り続け、こだわりぬいた美しい彩色で常に感動を与えてくれる「新田」の織物。先代からの弛まぬ努力と研鑽によって生み出された作品との出合いは、まさしく一期一会といえるでしょう。その機会に恵まれたなら、大切にしたいものです。

関連記事:「日本の染め・織り事典/米沢織・米沢紬(山形県)」


取材協力/新田
山形県米沢市松が岬2-3-36
TEL:0238-23-7717
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