本場奄美大島紬/鹿児島県

本場奄美大島紬

読み・ほんばあまみおおしまつむぎ
産地・鹿児島県奄美大島

本場奄美大島紬は、ゴブラン織、ペルシャ絨毯とともに世界三大織物とされ、奄美大島が発祥の絹織物。30以上もの工程を経て生み出される光沢のあるしなやかな地風が特徴で「着物の女王」と呼ばれている高級紬です。奄美大島以外に、第二次大戦中に島民が疎開した鹿児島市周辺や宮崎県の都城市で生産されています。染色別で7種類あり、代表的なテーチ木(シャリンバイ)と泥で染めて独特の黒褐色の地色をもつ「泥大島」、藍染の糸で織り上げた「藍大島」、藍染と泥染を併用した「泥藍大島」、泥染めの地糸に伝統の摺込技法による絣糸を交互に織り込んだ「色泥大島」、絣糸・地糸共に化学染料で染色し多彩な色合いが美しい「色大島」、地糸を染めずに白い絹糸のままで、染料で中間色に先染めした糸によって織り出した「中間色大島」、白土(カオリン)を原料とする「白大島」があります。また、経絣糸の本数を表わす単位をマルキといい、経絣糸80本を1マルキとし、「5マルキ」「7マルキ」「9マルキ」「12マルキ」が主流で、経絣糸の本数が多いほど、経と緯の絣合わせが難しく、精巧な絣となり高級品となります。奈良時代、奄美大島では養蚕が行われ、手紡糸で紬が生産されていたといわれ、東大寺正倉院の献物帳にその記録が残されています。1720年には薩摩藩への貢物とするため島役人以外の紬の着用を禁じられていました。1870年代に入ると、大島紬が商品として製造されるようになり、需要の増加にともない織機も居座機から高機に変わるなど、生産能率が向上しました。1975年、国の伝統的工芸品第一号として指定されました

本場奄美大島紬の代表的な柄

大島紬 龍郷柄

龍郷柄
この柄は、江戸末期に薩摩藩から「奄美大島をらしい大島紬の柄を考案せよ」との命が下り、図案師が月夜に庭を眺めていた時にたまたま一匹の金ハブが月の光で背模様をキラキラと輝かせながら青々とした蘇鉄の葉に乗り移ろうとしたその一瞬を図案化したことから始まったとされています。その後、村人たちが競ってハブの背模様と蘇鉄の葉、奄美の花等を図案化し、さらにそこに奄美大島の美しい自然の風土を抽象的に加えて大島紬を作り続けました。この大島紬は作られていた村が龍郷村(現在龍郷町)であったため「龍郷柄」と名付けられました。今でも熟練した織手しか作る事の出来ない貴重なものとなっています。

大島紬の秋名バラ

秋名バラ
秋名バラの「バラ」は奄美大島の方言で竹の網かごを意味します。龍郷町にある東シナ海に面した「秋名」地区で生活用具の竹で編んだ「サンバラ」と呼ばれるザルをモチーフにして作られていったものがこの柄です。車輪梅と泥で染めた黒い地糸と絣糸を使用し、黒のザルの格子柄に十文字を交差させた模様を中心としています。ナガ絣という特殊な絣技法を使用しているため、織り手が少なく現在は希少なものとなっています。

大島紬の西郷柄

西郷柄
格子の中に十字絣が入っている主に男物に使われているがらです。品質、技術共に高い水準で製造されていたため、西郷隆盛の名にあやかり作られたのが西郷柄といわれています。戸口西郷や赤尾木西郷など集落ごとに競い合って柄を 制作したため西郷柄だけでも十数種類作られていました。

大島紬の有馬柄

有馬柄
作者の人名からとられた柄。ほかにも伝優柄や万太郎柄など人名が付けられた柄があります。

大島紬の亀甲柄

亀甲柄
亀の甲羅模様を図案化した柄。80亀甲100亀甲120亀甲160亀甲200亀甲220亀甲と反幅に亀甲柄が入っている数が多くなればなるほど使用される絣糸の本数が多くなるため卓越した織り技術が必要なため希少になります。

泥染大島紬 古代染色
写真提供/本場奄美大島紬協同組合