黄櫨染/染色作家・奥田祐斎

宝石のように色を変える
世界に誇る日本独自の染め技法「黄櫨染」

黄櫨染の紫

天皇の第一礼装に定められた神秘の染め

紫外線で発色が変わる神秘的な染色法「黄櫨染」。朝昼夕、太陽の光の温度でその色が変化するのを特徴とします。光温度が下がると赤く、逆に高くなると青っぽく映る不思議な染めです。
その歴史は平安時代初期まで遡ります。天皇が身につける赤茶色の装束「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」は、太陽の光により、金茶色から茜色に変わり、着物の内側は太陽のように真っ赤に変化することから、嵯峨天皇の定めにより、天皇だけしか着用できない絶対禁色となりました。以降、歴代天皇の第一礼装に用いられ、現代でも「即位礼正殿の儀」で天皇がお召になっていた姿を、みなさんも目にしたことがあるかと思います。

黄櫨染の即位礼正殿の儀

天皇家に伝わる染めゆえ、その染色法は門外不出。正確な方法が一般的に知られていなかったため、“幻の染め”と呼ばれていました。しかし1990年、京都の染色作家・奥田祐斎さんが、その謎を解き明かし、再現に成功。独自の染色技法「夢こうろ染」を創出しました。

黄櫨染こそが日本のオンリーワン

祐斎さんは、もともと絵画活動をされていて、25歳の時に京都の染めの工房で修行を開始。洋装の手染めから始まり、テキスタイル、着物と発展。昼間は工房で、夜間には4年にわたり染色職人を訪ね、京染を広く学ばれました。染色化学も勉強されてきました。そして5年後には独立し、超現実派(シュルレアリスム)をデザインに取り込んだ着物を発表。海外でも着物ショーを開催し、一躍、世界で注目の作家となりました。


そんな祐斎さんが、“黄櫨染再現の旅”のきっかけは何だったのでしょう。
「海外に出るようになって、改めて日本人としてのアイデンティについて考えさせられました。友禅染め、西陣織、藍染など、すべて外国から入って来たもので、それを日本流に上手にアレンジし伝わってきたものです。『日本のオリジナルの染めはないのか?』と、疑問に思い、探し求める中で黄櫨染の存在にたどり着きました。『これこそが日本のオンリーワンや!』と」。

嵐山 祐斎亭で染められている黄櫨染の制作風景

あらゆる文献や記録を調査

しかし、再現までの道のりは平坦なものではありませんでした。國學院大学の協力を得ながら、さまざまな文献を調べたという祐斎さん。しかし、すべて納得のいくものではなかったと言います。
「国会議事堂前図書館にこれまでの調査記録が10件ほど残っていましたが、どれも特徴がはっきりしない。古代染色研究家の方なども文献を残されていますが、皆さん意見が違うのです。平安時代に編纂された文献『延喜式』には、染料として櫨(はぜ)と蘇芳(すおう)を調合すると正式な記録として残っていましたが、櫨の黄色と蘇芳の赤色を混ぜたら、オレンジにしかならない。紫根だけで黄櫨染を再現できるとも言う研究家もいて、納得のいく記録に出会うことができませんでした」。

広隆寺に残された資料から黄櫨染独自に研究

自ら調査するしかないと思い立った祐斎さんは、特別許可を得て、天皇ゆかりの御束帯が収められている「広隆寺」に残されている資料を基に研究を開始しました。

黄櫨染復元作業

「黄櫨染の存在にたどり着くのに5年かかりましたが、現物を見たら染めのポイントがわかったので、試行錯誤を重ね2年程で再現に至りました」。
天然草木染めで挑戦した祐斎さんは、ついに天皇家に伝わる赤茶色の再現に成功しました。しかし、祐斎さんは天皇家の第一礼装と同じ色を商品化することは、日本人としてタブーであり、日本を汚すことになると思い、化学染料に置き換えることにより染料の幅を広げました。
「黄櫨染は日本の誇りです。守るべきものは守り、アレンジを加えて新しいものを生み出すべきと考えました。そのため、商標も『夢こうろぜん』としています」。

嵯峨天皇のゆかりの地に設けた工房

祐斎さんの工房は風光明媚な京都の嵐山にあります。そう、嵯峨天皇がかつて別荘地にされていたゆかりの場所です。今から23年前、黄櫨染の工房にふさわしい場所を探している中、川端康成も逗留した元料理旅館を紹介され、購入。築150年明治期の建造物からは、翡翠色の桂川を臨み、1200年前、ここで船遊びをしていた貴族たちの優美な日常の情景を思い浮かべることができます。

嵐山 祐斎亭

祐斎さんいわく、「嵐山・嵯峨野は歴史的にも京都の始まりの景観が一番残っている場所です。嵯峨天皇が京都に都を移し、その時に起こったファッション革命が『十二単衣』です。奈良時代は、衣服も中国の影響を大きく受けていました。そのため和装の原点である十二単衣から日本の気候風土に基づいた国風文化が始まったといえます。古来、日本人は自然と調和することを大切にしてきました。その原点が嵯峨野にあるのです」。

日本の心を大切に着物本来の価値を伝える

和文化の美しさ。それは、思いやりの心やしつらにあらわれています。客人を迎えるために、水をまく、花を活ける…。祐斎さんは、そこに染色アートをかぶせていくのが、自分たちの使命だと言います。
「今、着物業界は商売的に走りすぎている現状にあります。着物本来の着るものとして価値を見直すため、そして染屋がもう一度息を吹き返すためにも、自分で染めて、消費者に直接販売する形態を確立していきたいと考えています。後継者育成の一貫として、1、2年でプロ作家を育成するプロジェクトも構想中です」。
着物だけでなく、スカーフやジーンズ、レザーも染めて、独自の世界観を確立しています。

黄櫨染のスカーフ

71歳でなお、新しいチャレンジをし続けている祐斎さん。染めの魅力について、次のようにお話しくださいました。
「対象物がなんであろうと染めている時が一番楽しいですね。日本画のように、和紙や絵の具と相談しながら調和点を見つけていく、まるで出会いを作るような作業です。でもね、計算しすぎると未来が決まってしまう。決まりきった未来なんて、面白くないでしょ」。

嵐山 祐斎亭で染められている黄櫨染の浴衣

関連記事「麗し着物日和 vol.1 <京都/嵐山 祐斎亭>」

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嵐山 祐斎亭
京都府京都市右京区嵯峨亀ノ尾町6
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